武勇伝
524: おさかなくわえた名無しさん 2013/03/25(月) 23:53:58.00 ID:Ab3v7srY
寝る前に。
俺のじゃないが、俺の親たちの武勇伝語ってみる。
俺のかーちゃんが俺を妊娠してた時、隣に住んでたあまり仲の良くない奥さんも妊娠していた。
仲が良くないのは、ばーちゃん同士(母達から見たら姑同士 隣の舅姑はすでに死去)から続いてたそうな。
両家の旦那が出張中に、1995年1月17日の阪神淡路大震災発生。
うちは大阪北部で被害は大きくはなかったが、家は半壊したそうだ。
揺れが収まったところで、唐突にかーちゃんが産気づいた。
ばーちゃんは引退していたが昔助産婦をしてたそうでなんとか無事に俺を取り上げた。
そこで隣の奥さんが気になったばーちゃん、仲が悪いとはいえ同時期の妊婦。
ヤバいと思って駆けつけたら案の定、破水しておろおろしていた奥さんをなだめて早産気味だが、女の子を取り上げた。
でもその奥さんは、俺には理由はわからないが数日後に亡くなったそうな。
母親二人のかかっていた産婦人科に渡りをつけて、母親と子供(俺達)をどうにかした後で、旦那たちが帰還。
子供の無事を喜ぶが、周囲や震源がアレなんで大っぴらに喜べずな状態。
そこに隣の奥さんが亡くなって、隣の旦那さん超修羅場。
自分の親もすでにいないし、嫁の両親もすでに亡くなってて天涯孤独(+新生児)の状態。
そこで俺のかーちゃんが提案「一人も二人も変わらないから、一緒に育てる」と。
いろいろ問題もあったんだろうけど、メリケンドラマの「フルハウス」みたいな「父親が複数いる」家庭に。
嫁の大ピンチの際に昔取った杵柄を生かして俺を取り上げただけでなく、昔から仲の良くない隣の赤ちゃんまで取り上げたばーちゃん。
同様に自分も危なかったってのに、残念ながら亡くなった隣の奥さんの子供まで引き受けたかーちゃん。
そんなわけのわからない状況ながら、間違いを犯すこともなく家庭を守った二人のとーちゃん。
今年高校を卒業して、妹(便宜上 同日だけど俺の方が早かったし双子でもないし)と関東の大学(別の学校)に行きます。
親と同じことが出来るとは思わないし、流石にそんな災害に遭いたくはない。
でも俺も妹もそんな親たちを尊敬している。
俺のじゃないが、俺の親たちの武勇伝語ってみる。
俺のかーちゃんが俺を妊娠してた時、隣に住んでたあまり仲の良くない奥さんも妊娠していた。
仲が良くないのは、ばーちゃん同士(母達から見たら姑同士 隣の舅姑はすでに死去)から続いてたそうな。
両家の旦那が出張中に、1995年1月17日の阪神淡路大震災発生。
うちは大阪北部で被害は大きくはなかったが、家は半壊したそうだ。
揺れが収まったところで、唐突にかーちゃんが産気づいた。
ばーちゃんは引退していたが昔助産婦をしてたそうでなんとか無事に俺を取り上げた。
そこで隣の奥さんが気になったばーちゃん、仲が悪いとはいえ同時期の妊婦。
ヤバいと思って駆けつけたら案の定、破水しておろおろしていた奥さんをなだめて早産気味だが、女の子を取り上げた。
でもその奥さんは、俺には理由はわからないが数日後に亡くなったそうな。
母親二人のかかっていた産婦人科に渡りをつけて、母親と子供(俺達)をどうにかした後で、旦那たちが帰還。
子供の無事を喜ぶが、周囲や震源がアレなんで大っぴらに喜べずな状態。
そこに隣の奥さんが亡くなって、隣の旦那さん超修羅場。
自分の親もすでにいないし、嫁の両親もすでに亡くなってて天涯孤独(+新生児)の状態。
そこで俺のかーちゃんが提案「一人も二人も変わらないから、一緒に育てる」と。
いろいろ問題もあったんだろうけど、メリケンドラマの「フルハウス」みたいな「父親が複数いる」家庭に。
嫁の大ピンチの際に昔取った杵柄を生かして俺を取り上げただけでなく、昔から仲の良くない隣の赤ちゃんまで取り上げたばーちゃん。
同様に自分も危なかったってのに、残念ながら亡くなった隣の奥さんの子供まで引き受けたかーちゃん。
そんなわけのわからない状況ながら、間違いを犯すこともなく家庭を守った二人のとーちゃん。
今年高校を卒業して、妹(便宜上 同日だけど俺の方が早かったし双子でもないし)と関東の大学(別の学校)に行きます。
親と同じことが出来るとは思わないし、流石にそんな災害に遭いたくはない。
でも俺も妹もそんな親たちを尊敬している。
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594: おさかなくわえた名無しさん 2013/03/28(木) 09:05:19.47 ID:uQAs5Qf7
超乙
527: おさかなくわえた名無しさん 2013/03/26(火) 00:08:09.75 ID:f+dAOoVu
カッコイイ親御さんだな、胸熱
525: おさかなくわえた名無しさん 2013/03/25(月) 23:58:59.87 ID:AYtLOlaM
寝る前に泣かせるんじゃねええええええええ
おやすみ
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みんなの反応
寝てて、地下鉄が傍を通っていて高速もあるからたまに
ダンプ等が通ると微弱に揺れることも合ったので
またそれかなと思って軽く覚醒し始めた頃に大揺れが・・。
それほど近所の被害は大きくは無かったけど
当時通っていた専門学校のビルの水道管が破裂して地下が水没
したりとか、近所のガソリンスタンドの壁のコンクリが
落下してたりくらいだったかなあ。
そうか・・もうあれから20年もたったのか。
寝れない…。
震源地の隣県だったから何事もなく助かったけど、一歩間違えたらと思うと子供の自分の行動が怖い
LEDの白い奴が良いで
そして就職したらあの日に浮気相手の家に泊ってて自分の家まで8時間歩いて帰ったってバカな人にも衝撃やった!
俺は卒業していたけど通っていた三宮の専門学校が綺麗に根本からぶっ倒れていた。
2年のときにあのクラスの地震に襲われていたら級友ともども全員死んでた…
震災の瞬間、『提督の決断』をやっていた自分は、どかんと揺れたのは強烈に覚えている。セーブした後で良かった…。
それ(浮気)、バレなかったの?
パイプベッドは揺れを2割くらい増しにする
瓦礫の山の中を神戸大学の受験に行ったなぁ。(落ちたけど)
翌日から大学テストだったが、京都だったせいか全然大事っぽくなくて、でも大阪からの電車が止まって来られない学生もいて、教授が「今日来られなかった人には『また来年』とお伝え下さい。」って言ってみんなで笑ってたんだよな〜。下宿帰ってテレビ見てあまりの大事さと、留守電の半端ない量におったまげたわ。
今だったら「不謹慎!」で大問題だよねぇ
当時はまだネットが一般的ではなかった気がするから、情報の伝達も遅くて被害少ないところは現地がどんな状態かカメラが入るまでわかんなかっただろうし、冗談言って暫らくして現実を知って真っ青、って感じだったんだろうな
奈良に住んでたけど、当時小さかった私は揺れでは起きなくて一緒に寝てた親に抱きしめられて起きたよ。東日本で感覚麻痺しちゃったけど、当時は震度4でも結構騒いでた気がする
あの高速道路が根元から横倒しになってるのをニュースで見たときは衝撃だった
地震の衝撃で本棚の資料顔面に総雪崩=かぶってた布団で打ち身程度
あの日寒くなかったら、でっかいハードカバーの本で顔面陥没してた。
ぞっとした。 息苦しくても布団をかぶらないと寝付けない体質
被災地に沢山友達がいたけど結局連絡つかないままずるずる年月すぎたなぁ
無くなったリストにはいなかったから無事だとは思うけどさ
母実家被災しなけりゃ祖父母の避難→介護のコンボもなかっただろうし
介護でいろいろ逃すこともなかったのかなぁ
タラレバだけどね、あの地震は今でも重い分岐点だよ
淡路島が震源地なのに、、、すさまじい地震だったんだな。
当時既に出発してて、修学旅行先で震災発生を知った人たちは修羅場だっただろうな
ちゃんとバレてその他にも色々あって緑の神召喚されてますwww
LEDで日常暮らしてると、取り返しがつかない感じで目を痛めるぜ。
北朝鮮から核ミサイルが飛んできてさく裂したかと思った。
掛けていた布団を頭までかぶってガクブルした。
朝になってTVを付けたら、関西が凄い事になっててびっくりした。ずっとTVだけはつけっぱだったんだが、時間の経過と共に被害者数がどんどん増えていって、本当に怖かった。
あれから20年なのかあ・・・。改めて、被害者の方々のご冥福を祈らずにいられない。
提督の決断ならまだいいが、私のところは(直前の日曜日だったが)アーカム・ホラーをプレイして街を3つほど壊滅させていたから・・・アレ以来あのゲームは封印状態に・・・
(アーカム・ホラー:クトゥルフを題材にしたボードゲーム。 アーカムに次々と出現する異世界への門(ゲート)と、そこから生み出される怪物。刻一刻と破滅は近づき、手遅れになれば旧支配者が覚醒します。探索者たちは現れた怪物を退治しつつゲートを閉じ、アーカムに平和を取り戻すのです)
兵庫の関連会社の復旧に行かされた。
2週間8Fの暖房設備無しで余震に耐えたわ・・・。
震災の翌々日には甥っ子生まれたけど中々お祝い渡せなかった
報告者と同じくあの子がもう20歳なんだよな。
*2
豆球つけっぱなしだと睡眠状態になりにくく肥満になりやすいって
この前載ってた。
関東在住だった私へのダンナのプロポーズの言葉は
「こっちは地震ないから安全だよ」だったんだが…。
余談だが、あの震災のちょっと前 所用で夜 神戸方面に出かけたら
六甲山系の山の山頂付近で 雷が鳴ってるわけではないのに
妙な白い閃光を数回見たのを覚えている。
震災半年前、結婚式も神戸で挙げたが、その夜、
三宮界隈に大量の羽虫が発生していたのも 関係あったのかなあ。
自分がまさにその、大阪から京都へ通ってた学生だったよ
京都のほとんどの大学はすぐに振替試験しますとアナウンスしてたけど
うちの大学は「振替試験は実施しません。落第か追試(←受かっても最低点)好きな方選べ」って・・・
数日後に撤回されるまでは本気で半泣きだった
先輩は当時貴重品だったPCが瓦礫に埋まって、卒論データ一から集めなおしてたな
喧嘩もよくするけど、あの行動があるのでこれから何があっても旦那と添い遂げようと思ってる。
神戸震災生まれが、もうそんな年になっているという方が衝撃なんですが。
パイプのハイベッドだったので、揺れ収まるまで布団被るしかできなかったわ。
朝、市バスは動いてるようだったが、「何かあるかもしれないし」といつもより30分早く家を出て会社に行ったら、会社のエレベータが止まってたので、6階まで登る羽目になったから正解だったけど…w で、出る前に母と「NHKさっきから大阪~、京都~、ばかりで、神戸言わないのは何故?」という会話をしてたんだけど、まさか帰ってきたらあんなすさまじい光景見るとは思わなかったわ。
弟は当時、大阪の大学に通ってたんだが、当日が試験初日で『電車止まってるから、試験延期だと思うけど、大学のメッセージサービスに電話が通じない』と焦ってたけど(当時はインターネットとか携帯電話とかはメジャーじゃなかった)学校近くに住む友達がわざわざ徒歩で大学まで見に行ってくれて、連絡くれてたのを思い出した。
ここの場合、※が本題からあさっての方向に迷走するのはいつものことなんですけどねぇ
20年前に20代だったおっさんおばはんばっかりなんだからしょうが無いだろ。
俺も当時20代後半で神戸に住んでたからこんな話題だと*したくなる。
あさってに行っていいかの判断できる良心はちゃんと残してるんだろうね。
どんな揺れだったか覚えてないけど、結構な衝撃で起きた。
揺れ収まって下段の弟見たら爆睡してたから呆れつつ、両親の部屋のテレビを見に行った。
晴れの国の南部だけど震度3(だったハズ)。
でも、大きい地震は初めて(?記憶にないだけかも)で震度3がどんなものか分かんなかったな。
大阪方面が多いみたいだけど長田区の崩壊半端なかったよ
目を疑うような火の海というか、空が煙で黒いとのと火の赤だけになってた
ガスタンクが近くにあって爆発したら駅の方まで吹っ飛ぶまで言われてて当時は近所が工場地帯だったもんで安全確保できるまで地震でパニくってる間にガスタンクの安全確保されるまで修羅場だった
物資の事でも、いい人だと思ってたのが悪い人で、悪いと思ってた人がいい人だったという人間の本性も見れたな…おかげで人間不信にもなったよ
あの頃11歳になる年だった自分はもう31だよ
これに関してだけは、記事本文も※も未体験者にとっては等価値だ
震災を体験してない俺は問題なく読んでいるから無用な口を出さないでくれ
浮気だの日常の友人トラブルだのなら「自分語りはお断り」と言う所だが、震災体験は別だ
しばらくゴゴゴゴという音が聞こえ出すがその内聞こえなくなる。
こういったコメ欄は貴重だし重要だと思う
※29,31は何を思ってそのコメントを書いたんだ?
体験してないからつまらない?
他人の自分語りは面白く無い?
もしそうなら黙ってスルーすればいい
それが出来ないならまとめなんか読まないほうがいいよ
要約すると、自分も体験談語りたくなっちゃうよって言ってるんだよな?
どこかの国で、戦争が始まったんだと思ったのと同時に、大声で叫ぶアナウンサーの声「ここは神戸です! 神戸の街です!!」。
仕事に行ったけど、お客さん全然来なかったっけ。
皆、被災地が気になって家でテレビ見てたんだろうな。
当時幼稚園児で、いきなりドンッて音がして、カーテンの隙間から朝焼けが見えて世界が終わるんじゃないかと思って凄く怖かった。
父親が地震知ってて、めっちゃ普通の口調で「地震だから布団から出たらあかんでー。」って言ってて、布団で硬直してたな。
うちは家の基礎がずれる半壊認定された。
水道管もうちの前のが破裂して、水が使えなくなってしまって大変だったけど電気とガスは普通に使えたなぁ。
でもガクブルで泣いてた私と違って、姉は父親が暴れてると思ってたし、幼馴染みに至っては熟睡で気づかず。
家族親戚友達みんな無事だったけど、本当に地震はこわい。
後日長田の焼け野原も見に行かされたけど本当に泣いた。こわかった。
そんな私もアラサーと呼ばれる年齢になったけど立派な喪女になりました。
長田の隣の須磨区に住んでたよ。
一晩中真っ赤な炎が見えて、サイレンがずーーっと鳴り響いてた。
これからどうなっちゃうんだろうって心細かったよ。
大学!? 阪神大震災ってもうそんな昔!?
その頃はパソコン通信全盛(といっても今と違ってパソコン持ってる人は多くなくてパソコン通信やってる人はその中でも更に一部なんだけど)で、Nifty-Serve は月一でメンテナンスがあって接続出来なくなってたけど、その月はメンテを中止にして接続可能にしてたなあ。でも ASCIInet は平気でメンテしてたっけ‥‥‥
あの頃震度3とか4があの辺に頻発してた。
最近また日本中揺れてるから、水と食糧蓄えてるよ。それで済めばいいなと願いつつ。
行き届かぬ支援物資、神戸の親類は△口組に食料と日用品を配給してもらった。
昔家族全員で住んでいたマンションは半壊。子どもだけがなくなった友人夫婦は離婚。
自分の周りでも様々な事があったなあ。
そして東日本の時も、本当に色々な事があった。
日本は台風と地震の国、これはもう仕方のないことだから。自分達で出来る限り対策はしないとね。
普通の家族じゃないのに家庭を営んで中々ないと思う。
兵庫県だけど西の方だったので揺れたけれどほとんど影響はなかった。
高校受験の問題から地層の問題が急きょ差し替えられたって聞いたなぁ。
そして合格発表の日、サリン事件が起きた。
どうあってもこの年のことは忘れられんわ。
でも、20年もたってたんやね。。
内側に倒れてたら死んでたってのは明らかだったから感情が負荷に耐えきれなかったんだろうなあ
朝風呂に入ってたら大音響とともに揺れがきてお風呂の湯が
2mを超す津波になって襲ってきたそうな。
「俺もここまでか」
と覚悟を決めたと後日しみじみ言っていた。
フツーに起きてフツーに学校行って授業受けて、なんにも変わらない1日だった。
先生が「今朝の地震でおばあさんがひとり亡くなったようだよ」と教えてくれ、『あー、そうなんだ』と思って家に帰ってテレビ見て驚愕した。
関東は地震が多いけど、関西は地震来ないと思っていたから尚更。
東日本大震災も怖かったけど、直下地震はもっと怖そう。
関東大震災に備えて、気を引き締めないと。
学校の近くに関西ナンバーの車が路駐しててフロントガラスに阪神大震災で避難して来ましたのでご容赦願いますと張り紙がしてあった
車で逃げてきたんだと驚いた覚えがある
あの時に生まれた子が20歳なんだね
頭で分かっていても、本当に身動きすらできなかった
数日後に、支援物資を積んで手伝いに行った時の街の様子と道中何とも言えない表情でとにかくじーっと見つめられた被災者方の目は忘れられない
東京に帰る日(9/17)に尼崎在住の友人家族に、車で神戸に連れて行ってもらった。野次馬根性じゃなく、現実を見せてあげるから、って。私も知っておきたかったし。
その日はいい天気で、途切れた高架線の、千切れた端の部分や、屋根に掛けられてたブルーシートが、太陽の光を反射して眩しかったのが今でも忘れられない。
ただ、友人旦那に「長田の辺りは、ハタチそこそこの女の子にはよう見せられへんわ」って、連れて行ってもらえなかった。
友人旦那は仕事(地元でタレント業をやってた)を1つキャンセルしてなかったらあの時間ちょうど阪神高速を通っていた予定だったらしく、友人と当時0歳だった娘ちゃんは、娘ちゃんが未熟児で生まれたからか体が弱く、最初は神戸の病院に入院する予定だったけど、友人実家に近い奈良の病院にしてたんだって。
いろんな偶然が重なって、友人家族は無事だったけど、一度だけ参加した東遊園地での追悼の集いで、亡くなられた方々のお名前が彫られたプレートが並べられている空間で、あまりの数の多さに現実感がなかったのを覚えてる。
その次の年だったかな、東日本大震災が起きたのが。
会社行ったら一番安普請の建屋が盛大にひび割れててワロタ。
そんな自分はゆとり(ToT)
休んでいる子もいたけど、余震の度に笑いながら机の下に入っている子もいた。先生だけ顔がひきつってたの覚えてる。
電車が開通してから母の長田の親戚の家にお見舞行った時に初めて恐怖で言葉失った。それまでテレビで見てたのに現実感なかったんだよね。
焼け野原で靴の露店が出てたのが印象的だった。
新品の靴が眩しくて頼もしく見えたな。
朝起きて、グチャグチャの家の中にビックリしたな。
同居の祖母がコツコツ集めてたクリスタルグラス類が飾り棚ごと倒れて割れて、破片の上に座り込んでたのを覚えてる。
妹が寝てたベッドにクローゼットから飛び出した夏物衣類が詰まったダンボールが落ちて、揺れの中で姉が妹を引き寄せて庇ってなきゃ妹の上に落ちてた。
母も咄嗟にタンス抑えなきゃ!って抑えてたらしいけど、明るくなって見たら、母の枕の所に上段から飛び出た引き出しが転がってた。タンス抑えようとしてなきゃ母は死んでた。
偶然が重なって家は半壊したけど、自分の家族はみんな無事だった。でも近所に住んでたおばあちゃんや同級生が亡くなったし、なんと言うか、子供心にショックは大きかったな。
なんか未だにあの日周辺の出来事は自分の中でふわふわして現実感がない。自分の思ってた日常から剥離し過ぎてて、脳が認識拒否してんのかなって思うわ。
そして高1のときに授業中に小さい地震があったとき神戸出身らしい先生が青ざめてかなり怯え(つつも気丈に振る舞っ)てたのを見て余程のトラウマが残ったんだなってシリアスな空気になったのも覚えてる。
近場の上に年齢も一緒だよ、ビックリ!
自分も高校受験の年で、地層のことは知らなかったけど、その年の私立は試験なし、公立の問題も小学生並の問題になってた記憶がある。
神戸の西だし地震の影響は少なかったけど、父が公務員だったから避難所に勤めて1週間近く帰って来れなかったから、母親と2人で心細かったのを覚えてるよ。
私自身はあの日はまだ赤ん坊で震源地から遠くて被害はなかったけど、母がテレビをつけた衝撃は今でも忘れられないと言っていた。
辛い体験だけど、もし地震にあった時にどうすればいいのかヒントになるのでどんどん話してほしいです。
実際は京都に近い所だったんで、実質震度4もない位だったらしい
ただ、震災の前年の9月に従兄が神戸で結婚式してて、その時についでに観光で歩いた街が壊滅してたのはショックだったなぁ…
震度4にしては被害でかすぎるんだよね。死者でてるし。
おかげで、日本家屋だったし、柱絞め直して今も住んでる。
そんな自分は震源地在住。
しかし、日本家屋って柱が落ちてなきゃ元の位置に戻せるもんなんだな。
ロープかけてよってたかって位置直すとか。集まった親戚がすごいのか、大工が凄いのか。
もちろん順番通り、第一が一番古くて(当時既に創立三桁年)第二、第三と続いてた。はず。
でも震災被害はどうやら第一が一番ましだったらしい、と聞いた。
事実、翌年夏とかに、第二第三の子達がプール借りに来てた。他の授業も来てたかも?
自分の目で確認した訳じゃないけど、聞いた話じゃ校庭に亀裂入ったらしい。どっちかは忘れた。
震災とは直接関係ないんだけど、2~3年後に大雪警報が出たのも衝撃体験だった。
当時中学生で、生徒手帳の「次の警報が出たら一旦自宅待機」のページに大雪警報の記載がなくて、生徒の半分は警報だから待機、半分は一応登校した。結局帰らされたけどww
翌年の生徒手帳には記載増えてたw
震災からの校舎立て替え中でプレハブ並べた教室だったからすごく寒かったし、何より外の水道がつらら作ってたのが今でも記憶に残ってる。
北国では水道凍らさないように出しっぱなしにする、みたいな雑学もここから知った。
大阪の北摂で高校生してたわー。
うちはそんな酷くなかった。でも植木鉢とか色々と道路に散乱してた。
電車来ないから親に電話するかと思ったら、公衆電話は長蛇。しかも小銭なかった。
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「ここらへんも揺れたのになんで気づかんの死ぬぞ」と怒られた。
その夜、当時奈良にいた弟に電話したなぁ。
もう20年以上たつのか・・。